それがどこの街での話であれ、彼らこそが真の賢者なのだ。
大切な人に贈り物をしたいけど、何を選んでいいか分からない人が
- 相手のことを想う大切さが分かる
- 贈り物はお互いの気持ちが大切であることも分かる
- 関係をもっと深めることができる
『賢者の贈り物』のあらすじ
もうすぐクリスマスだというのに、デラは愛する夫ジムに贈り物を買うお金がありません。
デラは一杯お金を貯めてきましたが、思った以上に出費がかかってしまったのです。
ところでこの夫婦には宝物が二つあります。
- 一つは祖父から代々引き継がれたジムの金時計。
- もう一つはデラの美しい長い髪です。
デラは宝物の金時計にふさわしい鎖が欲しかったのです。
しかし、今のベラにはとてもそんな高価なものを買うお金はありません。
そこで、デラはある決心をしました。
それはデラの髪の毛を売ることでした。
自慢の髪の毛は失ったのですが、買った金の鎖はジムの金時計によく似合うであろうとても素敵なものでした。
デラはジムの喜ぶところを想像しながら家に帰りました。
どころが家について冷静になると「自分のしたことは愚かな行為だったのではないか」「髪を切った私を嫌いにならないかしら」とだんだん不安になるのでした。
夕飯のころになってジムが帰宅しました。
ところが、ジムは髪を切ったベラを見ても、何の反応も示さなかったのです。
ジムに贈り物の鎖を渡しましたが、ジムの表情は硬いままです。
そして、ジムがベラに贈ったものは宝石が散りばめられたとても美しいクシでした。
実は夫のジムもデラへの贈り物のために、あの金時計を売ってお金に換えていたのでした
名言の状況
2人が用意したプレゼントは、結果的にお互いにとって不要なものになってしまいました。
彼らのしたことは、お互いの宝物を犠牲にした愚かな行為だったのでしょうか?
しかし、一方で贈り物をし合うすべての人の中で、 彼らのしたことが最も賢い行為だったともいえるのです。
名言の本質
作者のオー・ヘンリーは彼らを「愚かな2人の若者」と言っている一方で、「真の賢者である」とも言っています。
二人はどうして互いの宝物を手放したのに、賢者(賢い人)と呼ばれているのでしょうか?
それは以下の2つでしょう
- 自分のことより相手の喜ぶことを真剣に考えていた
- 結果的に意味のない贈り物になったとしても、相手をいたわっている
お互いに相手のことを責めたりはしていません。
2人がお互いのことを考えて、欲しいもの、必要なモノを正しく把握して気持ちが通じ合っているということが一番大切だということではないでしょうか??
ちなみに『賢者の贈り物』にはクリスマスプレゼントの起源について書かれています。
それは賢者として知られる東方の三博士によって、生まれたばかりのイエス・キリストに贈られた3つの贈り物がが始まりだそうです。
東方の三博士とは
東方の三博士(とうほうのさんはかせ)とは、新約聖書に登場し、イエスの誕生時にやってきてこれを拝んだとされる人物。
この東方の三博士がイエスに贈り物をしたときはイエスはまだ赤ん坊です。
そして、イエスの今後の偉大なる活躍はこの贈り物から始まったとも言えそうです。
その観点から考えると、この2人のしたことは確かに愚かな行為だったのかもしれません。
しかし、この行為が彼らにとっての素晴らしい未来への始まりだとも言えそうです。
気持ちの通じ合ったこの贈り物は2人に今後の幸せをもたらしてくれる一生の宝になるのではないでしょうか?
だからこそ、二人は賢者だったのかもしれませんね。
行動への応用
大切なパートナーがいる人へ。
記念日やいつものお礼に何か贈り物をしたいと思っていても、今さら何を選んでいいのか分からなかったら、考えてみましょう。
あなたはその大切な人の一番欲しいものが分かりますか??
瞬時に答えられますか?
本当にそれで合っていると自信を持って言えますか?
本当に喜ばれる贈り物はどちらかが一方的に想っていてもだめなんです。
本当のお互いのことを想っていなければ、愛し合っていなければ、理解していなければ、心から喜ぶ贈り物を見つけるのは難しいでしょう。
ジムとベラはお互いの気持ちが通じ合っていたから、一番大切な宝物がなんであるかを知っていたから、最高のプレゼントを用意したのです。
お互いのことが良く分かっていて、考え抜いた末に贈り合ったものがたとえ今は使えないものでも、それはそれでよかったのです。
お互い一緒にいるのが当たり前だと思ってきたのなら、もう一回ここで相手のことを見つめて考えてあげてくださいね。