「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれはおこったんじゃなかったんだ」
素直に人のアドバイスに耳を傾けられない人が
ゴーシュは町の活動写真館の楽団「金星音楽団」でセロ(チェロ)を担当しています。
今度の町の音楽会で演奏する第六交響曲を練習しているのですが、ゴーシュは一番下手なのでいつも楽長に怒られていました。
家でセロ弾きを練習しているゴーシュのもとへ毎晩違う動物たちが訪れて、何かと強引にゴーシュに演奏させます。
一日目は態度が偉そうな「三毛猫」
聴いてあげるから「トロイメライ」を弾いてくれと、ゴーシュの畑から青いトマトを持参して訪れます。
ゴーシュの「インドのとらがり」の演奏にびっくりして、逃げ出します。
二日目は音程をとるのが苦手な「かっこう」
「かっこう」の鳴き声の音程をゴーシュと一緒に繰り返し練習します。
いらいらしたゴーシュに窓から追い出されます。
三日目はばちで腹をたたく「子たぬき」
ゴーシュといっしょに「ゆかいな馬車屋」を合奏します。
四日目は病気の子どもを治してほしい「野ネズミの母子」
子どもの病気を治してほしいとゴーシュに演奏を依頼します。
本意ではなかった動物たちとの演奏は、ゴーシュのセロ弾きをいつの間にか上達させていました。
そのおかげで、町の音楽会は拍手喝采。
でもゴーシュは自分の上達ぶりに気がついていません。
ゴーシュは学長からアンコールの指名まで受けますが、「何の嫌がらせだ」とやぶれかぶれで『インドのとらがり』を弾きだします。
すると、楽長をはじめ楽団員や聴衆たちから大絶賛され驚きます。
ゴーシュは動物たちと練習したことでいつの間にかセロが上達していたことに驚きます。
家へ帰ったゴーシュは、空を眺めながら動物たちのことを思い出すのです。
演奏会を終えて帰宅したゴーシュが、窓から外を眺めてつぶやいた場面です。
遠くの空を眺めながら昨夜までの出来事を思い返し、ゴーシュは何かに気がつきました。
かっこうだけに謝っているのはかっこうを驚かせて窓から追い出したことを空を見たら思い出したからでしょう。
それと子だぬきや野ネズミとは特に険悪な関係になってはいないから別に謝る必要もないし、むしろ感謝しているのかもしれません。
もっとひどいことをした三毛猫に謝っていないのは、猫の態度が上から目線で気に入らなかったからかもしれません。
ゴーシュはセロがいつの間にか上達しているのに驚きました。
そして、あの動物たちとの交流が実は効果的な練習になっていたんだと気づき、無礼な態度をとったことを詫びています。
動物たちにあれやこれや言われて、イライラしたりうるさく思ったりしながらもいい練習になっていたのです。
三毛猫には「トロイメライ」を弾いてくれと偉そうにお願いされたので、怒って違う曲の「インドのとらがり」を弾くことで猫を驚かせ追い出しました。
これで、ゴーシュは演奏に感情をのせることを覚えました。
カッコウには音程のずれを指摘されて、何回も一緒に演奏しているうちに正しい音程を合わせることができました。
子タヌキにはテンポのずれを指摘されて、タヌキの太鼓のテンポに合わせるうちにリズムをとることができました。
野ネズミの母親にはゴーシュの演奏を聞くと動物たちの病気が治ると言われ自分の演奏が他の人のためになっていると気づくのです。
この結果、他の楽団員ともうまく合わせられるようになったのです。
動物たちに会う前のゴーシュは、楽長の指摘をうるさく思いまったく聞いていませんでした。
金星音楽団の楽長はゴーシュのセロを厳しく指摘します。
「演奏の感情がない」
「他の楽器より遅れている」
口調は厳しいですが、楽長としては当然の指摘で間違ったことは言っていません。
その結果、上達することはなくまた怒られてしまいます。
すなわち、この名言の本質は
「何かを指摘されたときは、耳が痛くてもきちんと聞いて活かす」
ではないでしょうか。
叱られたり指摘されることが好きな人はいないでしょう。
気分も悪いし、耳が痛いし、なんかいらつくし。
でも、そういうことを言ってくれる人は貴重な存在であなたのことを一番大事に思ってくれているひとなんです。
何の関係もない赤の他人にアドバイスしませんよね?
ゴーシュはセロ弾きが上達したことを実感して、動物たちのありがたみを知ることができました。
できれば、その前に指摘されることのありがたさに気がつけるともっと上達の速度も質も上がると思います。
なぜなら練習にも熱が入るから。
謙虚になって心を落ち着けて・・
うるさく言ってくる人はあなたを成長させてくれる人ですよ!!
「なぜやめたんですか。ぼくらならどんな意気地ないやつでものどから血が出るまでは叫ぶんですよ」
カッコウの言葉です。
途中で演奏をやめたゴーシュに対して、音楽を真剣にやるなら血が出るまでやるくらいの覚悟を持たなきゃいけないということです。