なんにでもよろこびを発見するゲームですもの。たとえそれがどんなことでもあってもね。
ネガティブでいいことなんか何一つないと思っている人が
- ポジティブになれる
- 全てのことに良い所を見つけようとする
- 他の人もポジティブに変えることができる
【『少女ポリアンナ』についてはこちらのブログでも書いています】
『少女ポリアンナ』のあらすじ
ポリアンナは両親が亡くなり、お母さんの妹にあたるポリーおばさんの家に引き取られることになりました。
子ども嫌いなポリーおばさんは「自分の義務」とだけ考えて、ポリアンナに厳しく接します。
何か寂しいことや辛いことがあるとポリアンナは、父親から教えられた「うれしくなるゲーム」という”なんにでも喜びを発見するゲーム”をして、明るい気持ちになれました。
「嬉しくなるゲーム」で人の気持ちを明るくするポリアンナは、町の人たちを幸せにしてくれる魔法を使える女の子として、町中の人気者になっていきました。
ところが、ポリアンナは交通事故に遭ってしまい、みんなが「もう一生歩けなくなるだろう」と話しているのを聞いてしまい、さすがに絶望してしまいます。
でも、ポリアンナの魔法はここでも奇跡を起こすのでした。
名言の状況
ポリーおばさんの家のメイドのナンシーとポリアンナが話をしています。
「今日のお食事は、ポリー様が機嫌が悪くてパンと牛乳だけなんですけど・・お気の毒ですけど・・・」
「パンと牛乳は好きだし、あなたと一緒に食べられるから嬉しいわ」
「どうしてそんなに何にでも嬉しくなれるんですか?」
ここで、ポリアンナはナンシーに「うれしくなるゲーム」について嬉しそうに話します。
名言の本質
ポリアンナがこのゲームをするきっかけになったのが、父親に人形をプレゼントしてもらうはずだったのになぜか松葉杖を贈られた時でした。
何のことかわからずポリアンナが戸惑っていると、父親が「うれしくなるゲーム」を教えてくれました。
つかう必要がないからうれしくなれるのよ。
ポリアンナには自由に動ける足があって‟松葉杖は使う必要がない”から嬉しいんです。
自由に動ける足があることを見つけた嬉しさは、人形をもらうより嬉しかったんですね。
「うれしくなるゲーム」は全てのことにポジティブな面を見つけようということではないでしょうか。
よく例えに出されていますが、水が半分入ったコップを見て「半分しか水がない」と思うのか「半分も水が残っている」と思うかで、評価は180度変わります。
当然後者がポジティブですよね。
そして、「このゲームは自分だけでなく、人に対してもポジティブにさせる影響力がある」ことも見逃せません。
ちなみにこの物語が有名になりすぎて「超楽観主義者」のことを「ポリアンナ主義」(pollyannaism)という言葉もできてしまいました。
行動の応用
「うれしくなるゲーム」は自分だけでなく人に対しても影響力があると上述しました。
まず、ポリアンナ自身については言うまでもないでしょう。
『赤毛のアン』を連想させる、あまり幸せではない生い立ちや育てられた環境に置かれても、常に「うれしくなること」を見つけて明るい気持ちに変えていきました。
そして交通事故で「もう歩けなくなるだろう」と言われた時はさすがに落ち込みましたが、そのポリアンナを変えたのは「ポリアンナに影響を受けた町の人たち」でした。
何にでもポジティブな方に向こうとするポリアンナの言葉は、町のたくさんの人を変えていきました。
寝たきりで心がすさんでいたスノー夫人の顔の美しさに気がつかせてあげて、スノー夫人は見違えるように明るくなりました。
町でも有名な人と話したがらない偏屈のペンドルトンさんが足の骨を折った時はこう言いました。
「看護してくれる人がいるから『うれしい!』と思うべきね』
これでペンドルトさんはポリアンナに対して心を開いて、養子に迎えたいと言うほどになりました。
ペンドルトンのお医者さん チルトン医師にはこんなうれしいことを言ってあげました。
「お医者さんは体の悪い人を治して助けることのできる世界で一番嬉しい仕事ね」
今まで助けられなかった患者さんのことも考えて、あまり医者という仕事に対して誇りを持てなかったチルトン医師はこの言葉にとても感動しました。
自分を変えて、人を変えて、そして自分も他の人から変えられる。
『少女ポリアンナ』の他の名言
それならいいの。・・・それに、おばさんがむかえにきてくださらなくてよかったわ。だって、これからおばさんにあえるたのしみがあるし、あなたにもであえたんですもの。
ポリアンナは駅に迎えに来ていたメイドのナンシーをポリーおばさんだと勘違いしていました。
勘違いが分かった後も、がっかりするのではなくナンシーに出会えた喜びを見つけました。
こんなことを言われたら、言われた方も気分が良くなりますよね。
それじゃ、時間がないわ。生きる時間が!
ポリー夫人はポリアンナの教育のために一方的に習い事を毎日やるように命令します。
ポリアンナはそれに対してきっぱりと「生きている時間がない!」と抵抗します。
ポリアンナの”生きている時間”とは、おしゃべりや読書やきれいな景色を見たりと「自分のやりたいことをやっているイキイキとした時間」ことを言っています。
寝てる間は息をしていても生きていないのと同じように、ポリアンナにとってはやりたくないことばかりやっている人生は息をしていても生きてはいないのです。
うれしければたまらなくなって、バタンとしめてしまうはずですもの。そうしたことがないのは、おばさんにそんなにうれしいことがなかった証拠よ。だから、かわいそうっていったのよ。
ポリアンナがドアを音を立てて閉めることをポリーおばさんは注意しました。
ポリーおばさんは今までドアを音を立てて閉めたことがないと言います。
それに対してポリアンナは「かわいそう」と言います。
「ドアを音を立てて閉めるときは嬉しいことがあった時で、今までそうしたことがないのはうれしかったことがなかった証拠よ。だからかわいそうなの」
それを聞いたポリーおばさんはかつて自分の嬉しかった時のことを思い出してドキドキしてしまいました。
あの子の処方箋を書けたらいいのにな。そしてくすりのようにお金でかえればね。
医者のチルトン先生はポリアンナの存在自体が患者を治す最高の薬であると言っています。
偏屈で人嫌いだったペンドルトンさんもポリアンナと出会えて人が変わったように社交的になりました。
チルトン先生の今の悩みは「ポリアンナみたいな子がたくさんいたら自分は失業してしまう」ことだそうです。
だって、人をたすけているんですもの。それにたすけることのできる自分自身も世界一うれしいはずだわ
チルトン先生の私生活は独身で寂しいものでした。
医者という仕事に誇りをもってはいましたが、患者を助けられなかった経験も合わせてふと虚しさも覚えていたのですが、ポリアンナは医者は世界一の素晴らしい仕事だといいます。
チルトン先生は感動して涙を流しながら「病人より医者の方が薬が必要だね」と泣き笑いで言いましだ。
人というのは心に思っていることが、しぜんにそとにあらわれてくるものだ。だから、ある人が親切であいそうがいいと、まわりの人もしだいにそうなっていく。
教会の牧師が『聖書』から語った一節です。
「気分」というものは周りに感染していきます。
機嫌のいい人の周りにはニコニコしている人が集まっていませんか?