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『おこりじぞう』を読んで、お地蔵さんさえ怒らせた戦争と庶民の悲惨さを忘れないでおこう

『おこりじぞう』の名言

石じぞうの 顔は、こわれてしまいそうに、ちからいっぱいの 顔に なりました。

まるで 仁王さんの 顔です

『おこりじぞう』から変えられる行動

 

戦争を知らない世代が

  • 戦争の悲惨さを実感する
  • 戦争の怖さが分かるようになる
  • 原爆を忘れないように思うようになる

『おこりじぞう』のあらすじ

昔、日本が戦争の真っただ中だったころ、広島のある横丁に小さな石でできてお地蔵さんがありました。

丸い顔をして、いつも笑っているように見えたので、「わらいじぞう」と呼ばれていました。

ある日、青いスカートをはいた女の子がお地蔵さんの前を通って「おじぞうさん わらってる、うふふふ」とスキップをしながら通り過ぎていきました。

またある日、おじいさんがお地蔵さんの頭をなでながら「お地蔵さんはええ、戦争知らずじゃ」と呟きました。


 

真夏の朝のその日もお地蔵さんは笑っていました。

突然アメリカの飛行機が空に現れて、爆弾を落としていったのと同時に、広島の町はものすごい音と光に包まれました。

町じゅうは、白っぽい ぎらぎらの 光に、 ぬりつぶされてしまいました。

人びとも、家いえも、学校も、そして 石じぞうも、目の くらむ 光の なかで 息を とめたとき、

 

ぐわ、わ、わーーーーん

 

広島の 町は 大ばくはつしました。

 

全てのものが吹き飛ばされて、あちこちで炎のうずが起きて人々の叫び声が響いていました。

 

お地蔵さんも吹き飛ばされて、体は砂の中に埋まってしまい笑った顔だけが出ていました。

 

お地蔵さんの前をやけどを負った人やボロボロの服を着た人たちが逃げまどっていました。


 

翌日、火の消えた広島の街には何も残っていませんでした。

あちこちに死んだ人が倒れていました。

 

お地蔵さんもまだ砂の中に埋まっていると、向こうからボロボロの服を着た裸足の女の子が歩いてきました。

ボロボロの服のところどころに少しだけ青い色が見えました。

そうです。

あの「おじぞうさん わらってる」と通り過ぎたあの青いスカートを着た女の子でした。

 

 

女の子は背中に大きなやけどをしていて、おじぞうさんの前で倒れてしまいました。

倒れながら少しだけ顔を上げておじぞうさんの顔を見上げると、「かあちゃん みず」と言いました。

 

「みず、みず」と女の子の声はだんだん小さくなっていきました。

 

すると、おじぞうさんの笑顔がだんだん何かをにらみつけるような怖い顔に変っていき、まるで仁王の顔になりました。

おじぞうさんの目から、ぽとり、と次々に涙が落ちて女の子の口の中に入っていきました。

女の子は涙の水を飲み終えると、「かあちゃん」と言って少し笑い、そのまま動かなくなりました。

 

そのとたん、おじぞうさんの顔が崩れ落ちていき、おじぞうさんは体だけになってしまいました。

 

それから何日か経って、広島の町にも人が帰ってきました。

おじぞうさんの体も砂から出してくれましたが、相変わらず顔は無いままでした。

すると、一人のおじいさんが通りかかって「戦争知らずの地蔵もとうとう」と泣きながら胴体を抱きしめてきました。

 

そして、落ちていた丸い石を胴体に乗せてくれて頭にしてくれました。

おじいさんは「生き残ったのはわし一人じゃ」とおじぞうさんに呟いて、目をかっと開いて仁王さんのような顔になりました。


 

何回目の夏が来て、広島の町には新しい家がたくさん建てられていました。

 

忙しそうに通り過ぎる人々がふとおじぞうさんの顔を見て、「なんと怒った顔じゃ」と言うようになり、「おこりじぞう」と呼ぶようになりました。

 

 

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名言の状況

女の子が「喉が渇いて水が欲しい・・」とおじぞうさんに呟いたときに、おじぞうさんの顔が変わっていきました。

何かを強く思う怖い顔になっていきました。

名言の本質

原爆の悲惨さと平和への願いを描いた絵本として、もう40年以上も読みつがれている 「おこりじぞう」。

「原爆と広島」がセットになると原爆ドームが連想されるがちですね。

 

でも、こういった小さな日常の出来事にも原爆が大きく関係しているという視点から「戦争を忘れてはいけない」ということを伝えています。

 

むしろ、庶民の日常生活に溶け込んだものにこそ、戦争の記憶が残っていると思うのです。

 

原爆によって多くの無力な子どもたちが死んでいくのを見ていられずに、笑い顔のお地蔵さんが仁王の表情になるという描写で作者の戦争への悲しみと怒りを表現しています。

 

 

そして、無機質な石のお地蔵さんにさえも戦争への怒りや悲しみが宿っていき、言葉の代わりに表情で感情を示し最後は頭が砕けていくという描写を通して、

「戦争で犠牲になるのはいつもこういった無名な弱い人達なのだ」

という作者のメッセージもあるのではないかと思います。

 

 

この身を犠牲にして水を与えるも、結局助からないところがなんともやりきれなさを感じてしまいます。

 

正しい戦争なんてない。

どんな形であろうと、悲惨で哀しさと怒りだけしか残さないという、虚しい結末しかもたらさないのだから。

 

おじぞうさんの流した涙は半分は女の子の喉を潤すため、もう一つは無力な自分への悔し涙ではなかったのではないでしょうか?

行動への応用

この話って完全にフィクションかと思っていたら、モデルになったお地蔵さんがいたんですね。

広島で原爆の被害にあい、焼け跡で粗末になっていたお地蔵さんを【龍仙院】の住職の義母(西原ミサオ)が全部で七体自宅(広島市千田町)へ持ち帰り、玄関先にまつっていました。

その中の一体に「首なしではかわいそうじゃ」と言って、新しく頭をつけてもらいました。

それが怒っているように見えたところから「おこり地蔵」と呼ぶようになったといわれています。

 

今は松山に置かれているんですね。



 

 

戦争のことを忘れてはいけない、風化させてはいけない、ということは戦争を知らない世代の義務です。

 

いつもニコニコ笑っているお地蔵さんをあんな怒った顔にさせてはいけない。

身近にあるものだからこそ、余計そう思いませんか?

 

 

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鈴木健美