おーい、でてこーい
まだ使えるものをゴミとしてどんどん捨てていく人が
台風が過ぎさった翌日、ある村にとても深く大きな穴が見つかりました。
穴の底は暗くて見えず、村人が石を投げ入れてみたり「おーい、でてこーい」と叫んでみたりしたけれど、何の反応もありません。
科学者や新聞記者やらが調査に来るも、誰にもどうすることもできません。
そこで、結局「なんでも捨てることのできる穴」としてゴミ捨て場にすることになりました。
いくらゴミを捨てても一向に埋まる気配はありません。
すると人々の捨てるごみは段々エスカレートしていきます。
など・・・・
とにかく人間が作ったあらゆるゴミというゴミを捨てていきました。
それでも穴の底はまだ見えません。
地球上にはごみが無くなりきれいになりました。
ここから場面が変わって、建築中の高層ビルで作業員が一休みしています。
彼はふと上空から「おーい、でてこーい」という声を聞きましたが、上空にはなにもありません。
気のせいかなと思った彼の足元に小さな石が落ちてきました。
しかし、彼は美しい都会のスカイラインを眺めていたので、気がつきませんでした。
同じセリフが二度言われています。
一回目は冒頭で、
二回目はラストで。
これは何を意味するのでしょう。
この本は僕が小学校4年生の時に出会いました。
確か担任の先生が読み聞かせしてくれたと思うのですが、子ども心にとても怖かった記憶があります。
お化けや幽霊が出る分かりやすい話ではないので、同級生の中にはピンと来ていないのも多くて「なんでも捨てられる穴っていいよね」くらいの感想で終わっている子もいました。
しかし、この話の本質に気づいてしまうと本当に怖いです。
冒頭のセリフと落ちてくる石は果たしてどういう関係なのでしょうか?
落ちてくる石に誰も気がつかないのがまた怖い・・・・です。
これと同じような話をマンガで読んだのを思い出しました。
ドラえもん 単行本第36巻に収録されている「天つき地蔵」です。
今の時代には不要だとされているゴミが、過去の世界では宝物になっています。
0点のテストが障子になり、ビニールの袋が天女の羽衣になる。
ここまでで使い回しはしないにしても、現代は逆に使い捨て過ぎの時代です。
やれ「エコだ」、「時短」だと色々な理由で正当化され、新しい製品がどんどん開発されてまだ使えるのに旧モデルは捨てられてしまいます。
車や電化製品の工場の現場を見ていると、「あんなに毎日毎日たくさん作って、そんなに買う人がいるんだろうか?」と思ってしまいますがいるんでしょうね。
まだ食べられる食べ物だって、賞味期限が過ぎた瞬間に「危険な廃棄物」に変わってしまいます。
その一瞬の間に何が起きたんでしょうか?
そこまでしてくれなくてもいい過剰包装から出るプラスチックや紙のゴミ。
目には見えなくても洗剤やシャンプーから川や海に入るゴミ、車の排気ガスなどから空気に溶け込むゴミ。
果ては原発から出て処理場のことで散々揉めているゴミ。
もう捨てるところなんてありゃしない。
その時に、こんな穴が見つかったら・・・・・
何しろ、いくら捨てても穴は埋まらないし、地上はどんどんきれいになっていくんですからね。
我々はゴミを減らすという方向にはいかずに、必死でこの穴を探しているんではないでしょうか?
『おーい でてこーい』の世界では地上にはごみがなくなるのでどんどんきれいになり、新しいビルも立ち産業はどんどん豊かになっていく。
1958年に書かれた本ですが、まるで現代のことを予言しているかのようですね。
「天つき地蔵」ではゴミは過去へ捨てられていました。
しかし、「おーい でてこい」ではどうでしょうか?
過去に捨て続けたごみは小さな石と「おーい でてこーい」の声に続いて戻ってきてしまいそうではないですか?
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