道理でどうやら民さんは野菊のような人だ
好きな人に想いを告げるのが怖い人が
作・伊藤佐千夫
新潮文庫
『野菊の墓』は15歳の少年・政夫と2歳年上で17歳のいとこ・民子との純情で淡い恋心を描いた1906年に出版された物語です。
15歳の政夫は小学校を卒業したばかりで、病気の母親と2人で松戸の矢切の渡を東へ渡った矢切り村の小高い丘に住んでいました。
母親の看護や世話をするために、政夫のいとこで17歳の民子が手伝ってくれていました。
政夫と民子は大の仲良しで、何かと遊んだり勉強したりすることが多くてよく一緒にいるのでした。
そんな2人の仲が心配になり近所からも噂されることを気にした母親が2人を枕もとに呼んで注意します
母親からこのように言われることで、それまでなかった政夫の中に民子を意識する心が芽生えてきました。
陰暦の9月14日は宵祭で15日の村の祭りだというので、「畑仕事を今日13日中に終わらせなければならないという」母親の指図で政夫と民子は山畑の棉を採りに行くことになりました。
2人は村人の目を避けるために別々に家を出て、村はずれの坂の降り口の大きな銀杏の木の根本で落ち合うことにしました。
そこに向かう途中に政夫は生えていた野菊を摘み、野菊が好きな民子のために政夫は半分分け与えてあげます。
2人が水を汲みに行ったりあけびを採ったり弁当を食べたりしているうちに夜になってしまいました。
なかなか帰ってこない2人を心配した台所の奉公人は
と嘆き、11月に行かせる予定だった千葉の学校へ祭りが終わってすぐの17日に寮に入るように言いつけました。
政夫は民子とゆっくり話をする機会も与えられずに、手紙だけ残して入寮しました。
学問をせねばならない身だから、学校へは行くけれど、心では民さんと離れたくない。民さんは自分の都市の多いのを気にしているらしいが、僕はそんなことは何とも思わない。僕は民さんの思うとおりになるつもりですから、民さんもそう思っていて下さい
12月25日、政夫が冬休みに戻ると、民子は実家に戻されていて政夫も立ち寄るのがなんだか恥ずかしく民子に会うことはありませんでした。
そして翌年の大晦日に帰省した際に、民子が嫁にいったことを知ります。
しかし政夫が民子を思う気持ちは全く揺るがなかったのです。
僕は只理屈なしに民子は如何な境涯に入ろうとも、僕を思っている心は決して変らぬものと信じている。嫁にいこうがどうしようが、民子は依然民子で、僕が民子を思う心に寸分の変りない様に民子も決して変りない様に思われて、其観念は殆ど大石の上に座して居る様で毛の先ほどの危惧心もない。それであるから民子は嫁に往ったと聞いても少しも驚かなかった。
その年の6月22日、「スグカエレ」の電報を受け取り、家に帰ると民子が流産が原因で死んだことを聞かされます。
母親は、嫁にいくのを嫌がっていた民子を無理強いさせたと「自分が民子を殺した」と後悔し嘆いて泣きっぱなしです。
民子の家族の話では、民子は臨終の際政夫の手紙と写真が入った包みを握った手を胸の上に乗せていたそうです。
その話を聞いた政夫は民子の墓の周囲に野菊を一面に植えて、「決然学校」へ出るのです。
9月13日に綿を採りに行く途中で交わした会話の中の言葉です。
政夫が摘んだ野菊を見て、民子が半分欲しいとねだるのです。
2人の心に秘めていた淡い恋心が野菊になぞらえて通じ合い、お互いを意識し合った瞬間です。
「あなたは〇〇みたいな人ですね」
この作品が書かれたころは、まだ自由に恋愛や結婚ができる時代ではありませんでした。
男女の気持ちは一切関係なく、家柄や年齢などから親の都合で決められることが多かったようです。
民子も年齢が2歳政夫より上だということを盛んに気にしています。
それに比べたら今は完全に自由恋愛の時代ですね。
年齢、性別、家柄など一切気にせずに恋愛や結婚ができます。
それだけでも恵まれてると思いませんか?
そうはいっても好きな人に想いを伝えるってなかなかできないですよね。