あとにはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短くたれているばかりでございます。
今の現状に満足できない人が
作・芥川龍之介
角川文庫
『蜘蛛の糸』は地獄に落ちた大悪人 カンダタにお釈迦様が救いの手を差し伸べようとする話です。
カンダタは数々の悪事を働いてきましたが、一回だけ蜘蛛を殺さずに見逃したことがあったのです。
その褒美としてお釈迦様が”蜘蛛の糸”を天界から吊りおろして、カンダタを地獄から救出しようと試みました。
それに捕まりよじ登って、地獄から脱出しようとしていたカンダタがふと下を見ます。
すると大勢の地獄の罪人たちがカンダタの捕まっている蜘蛛の糸に群がり上ってこようとしているではありませんか。
このままでは糸が切れてしまう。
それを恐れたカンダタは彼らに向かって糸から手を放して降りるように怒鳴りました。
「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちはいったい誰に尋いて、のぼって来た。おりろ。おりろ」
その途端に蜘蛛の糸は切れてしまい、カンダタは暗い地獄に再び逆戻りしてしまいました。
カンダタが地獄に再び落ちてしまった後の、天界と地獄の間にある「蜘蛛の糸」の情景を表している名言です。
これだけの言葉でも、情景が目に浮かんできませんか?
そもそも「蜘蛛の糸」とは何でしょうか。
これを現代に置き換えてみたら「蜘蛛の糸」とは
あなたを今の満足していない現状から救い出してくれるチャンス
だと思います。
そもそも現状の全てに満足していない人などいないわけで、誰でも何かしら不満を抱えながら生きているのだと思います。
“生きているだけで地獄”という人もいるくらいで、自ら命を絶ってしまう人だっているこの世の中ですからね。
これらの現状から救い出してくれるのが、「蜘蛛の糸」なのです。
カンダタは悪人ですが、1つ良いことをしたから地獄から脱出できるチャンスを与えられました。
善人や悪人に限らず、カンダタのように現在置かれている環境から救い出してくれるチャンスはどこかで巡ってくるということではないでしょうか。
しかし、誰でもいつでも「蜘蛛の糸」が垂れてくるわけではありません。
ところで、この蜘蛛の糸が切れた情景ってなんだかすごく物悲しくないですか?
これにはお釈迦様とカンダタ両方の無念さが現われているのだと思います。
なぜならカンダタは
「自分の成功のために他人を犠牲にしてのし上がろうとした」
からです。
カンダタは「蜘蛛の糸に群がっていた罪人たちは 自身の足を引っ張る者達」だと決めつけて、地獄に舞い戻りました。
もしかしたら、彼らは自分を助けてくれる協力者だったかもしれなかったのです。
そのまま一緒に上っていれば糸は切れることなく天界までたどり着くことができたかもしれないのです。
人は一人では生きられません。
何かを食べるにしても買うにしても必ずそれを作った人がいるのです。
人は人によって生かされている。
その見極めができていないと、「蜘蛛の糸」は切れてしまいます。
つまり元の環境に逆戻りしてしまうということです。
「蜘蛛の糸」を掴んで上るのは時間がかかっても切れるのは一瞬です。
それは成功者が私利私欲に走りすぎてあっという間に転落していくのを見ていれば良く分かるではないですか。
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