そう エルフのなみだでできたのかもしれませんね
つい人を「味方」と「敵」に分けてしまいがちな人が
エルフはアフリカの草原に住む強くて優しい雄のだちょうです。
エルフは動物の子どもたちが大好きで、彼らを背中に乗せて遠いところまで走るのがとても楽しみでした。
他の危険な動物が襲ってきてもエルフの背中にいればエルフが追い払ってくれるので、エルフは子どもたちにとても人気がありました。
ところがある日、エルフはライオンに襲われた子どもたちを守るために戦ったところ、片足を食いちぎられてしまいました。
以前のように走れなくなったエルフはどんどん痩せていき、いつのまにか他の動物たちも寄ってこなくなってしまいました。
ある日、クロヒョウが子どもたちを襲いに来ました。
エルフは逃げ遅れた子どもたちを背中に乗せて、満身創痍ながらクロヒョウと戦います。
最期の力を振り絞ってエルフはクロヒョウを追い払います。
子どもたちが喜んでエルフにお礼を言おうと振り返ると、そこにはエルフと同じ姿の一本の大きな木が立っていました。
この木になったエルフの周りには毎日子どもたちが遊びに来て、エルフのことを思い出すのでした。
木になったエルフの顔の部分の真下には池ができていました。
雨が降らないアフリカの地において、この池はエルフの涙でできたのでしょうか。
本当にこの池はエルフの涙でできたんでしょうか?
そこにはエルフの本当の優しさがあると思います。
エルフは片足を失って、他の動物たちからもほとんど忘れられていたのに最後の最後まで子どもたちのために戦い抜きました。
そして、襲ってくる猛獣を決して殺すことはしませんでした。
子ども好きのエルフは弱肉強食の世界において、草食動物だけでなく肉食動物の子どもたちのことまで気にかけていたのではないでしょうか。
このエルフの涙はこの厳しい世界を生き抜かなくてはいけない子どもたちへ贈る、エルフの最後の優しさだったのでしょう。
あとがきによると作家のおのきがくさんは、バオバブの樹の写真を見て「かたあしだちょうのエルフ」を思いついたそうです。
アフリカの厳しい環境の中でも太くたくましく伸びているバオバブの樹は動物たちを守ってくれているかのような印象を与えます。
そこにエルフの優しさとたくましさを感じる気がします。
動物の世界は弱肉強食の厳しい世界です。
彼らだって生きるために必死だし、守らなくてはいけない子どもたちもいるでしょう。
なので、エルフたちを襲ってくる猛獣たちが一概に‟悪”であるとは決めつけられません。
エルフの優しさは子どもたちだけでなく、こういった襲ってくる猛獣たちにも向けられていたのではないでしょうか。
その証拠にエルフは子どもたちを守りながらも、襲ってきた猛獣たちを殺しはせずに追い払うだけでした。
子どもが大好きなエルフのことですから、猛獣たちの子どものことまで考えていたのかもしれません。
そして、けがをしてもうこれ以上子どもたちを守れないと思ったエルフは大きな木になってしまいました。
この木は暑いアフリカの日差しの日よけになり、エルフの流した涙の池は動物たちの命のオアシスになっています。
この木の下には草食動物だけでなく、肉食動物だって集まるでしょう。
日陰で休息をして水を飲んで体力を回復したり。
特に水は全ての動物にとっていきるためになくてはならないものです。
エルフは全ての動物の子どもたちが水に困らないように涙をながしたのでしょう。
ここにエルフの分け隔てない優しさを感じることができます。
このように一概に相手を敵だと決めつけずに見逃してあげる、もしくは許して包み込んでしまうくらいの優しさをもつ人は強いです。
立場が変われば見かたも変わる。
どちらかが絶対的正義ということはないわけです。
「昨日の敵は今日の友」
これくらいの気持ちでいた方が、人間関係はうまくいきますよね。