君の利口な瞳を見開きなさい
日々起こる出来事にいちいち一喜一憂してしまう人が
シングルマザーで家政婦の「私」は、ある初老の男性(数学博士)の元へ派遣されます。
博士は交通事故の後遺症により記憶が80分しかもたないのです。
博士は「私」の誕生日の2月20日(220)と博士の時計に刻印されているNo.284(284)が”友愛数”という数の組み合わせでつながっていることを教えてくれました。
美しいと思わないかい?君の誕生日と、僕の手首に刻まれた数字が、これほど見事なチェーンでつながり合っているなんて
次第に博士との距離が縮まってきたと感じている「私]に大の子ども好きである博士は,「私」の息子、ルートが家で一人で過ごしていることを大変心配してくれました。
そして、学校が終わったら博士の家に呼ぶように言い、仕事ではありますが、「私」とルートと博士の3人で過ごす日常が始まります。
あ
阪神タイガース、江夏豊のファン(博士の記憶は1975年で止まっているので)の博士を連れて三人で阪神タイガースの応援に行くことになりました。
試合が終わって博士は熱を出して寝込んでしまい、「私」は独断で博士の部屋に泊まって看病します。
そのことで依頼人である博士の義姉(未亡人)より苦情が入り、「私」は派遣先を変更すると告げられてしまいます。
息子のルートは無邪気に博士の家に遊びに行きますが、そのことが未亡人をますます怒らせてしまい「私」と口論になってしまいます。
しかし、やはり博士の世話は他の家政婦には手に負えないらしく、「私」は再び呼び戻されました。
ルートの誕生日をお祝いした後くらいから、博士の記憶が残る時間はだんだん短くなっていき入院することになってしまいます。
それから数年後、大学を卒業したルートを連れて「私」は博士にある報告をしに病院を訪れたのでした。
博士の影響で日常生活につい数字 (特に素数)を探してしまうようになった「私」は、博士の言っていた “数学の目的は真実を見出すこと” という言葉を思い出します。
直線を紙に書くことはできますが、厳密に言えばそれは直線ではありません。
本物の直線というものはどこまでも無限に続いていくものであり、どれだけ細い鉛筆で書いても「幅」ができてしまいます。
では「真実の直線」はどこにあるのでしょうか。
博士は自分の胸に手を当てました。
「物質にも自然現象にも感情にも左右されない、永遠の真実は、目に見えないのだ。数学はその姿を解明し、表現することができる。」
「君の利口な瞳を見開きなさい。」
『博士の愛した数式』には当然数学用語が多いので、数学嫌いの人には取っつきにくかったり、良く分からなかったりするかもしれません。
でも、そのことが原因でこの本を敬遠するのはとても損ですよ。
博士は数学者ですので数学を例えにしていますが、要は
「目に見えている現実がそのまま全てではない」
と言っているのではないでしょうか。
これと同じ意味の言葉で「大切なことは目に見えない」(星の王子さま)というものがあります。
それが分かっていれば、現実世界で起こる出来事に一喜一憂する必要はありませんよね?
心の目を開いて、現実の世界を支えている「不変の世界」を見てみましょう。
土台がしっかりしていれば、小さな変化には動じなくなりますよ。
博士はシングルマザーでお金やルートの心配ばかりしている「私」に数学を例えながら諭してくれたのかもしれませんね。
「そんな表面的なことばかりに捉われていないで、根本から見つめなさい」と。
もしかしたら自分の番号には特別な運命が秘められており、それを所有する自分の運命もまた特別なのではないだろうか
言葉のコミュニケーションが苦手な博士は何かにつけて数字と関連付けてくるのですが、何回も言われるとそうじゃないのかなと思わせてくれます。
あなたの誕生日や靴のサイズ、電話番号はあなただけのものですからね。
君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号、ルートだ。
頭が平らな「私」の息子は博士にルートとあだなをつけられてしまいます。
優しそうなルートを言葉にするのが苦手な博士はこう例えました。
理由は神様の手帳だけに書いてある
どれだけ探しても考えても解決しない時にはこう思ってみましょう。
神様しか覗けない手帳なのだから誰にも解決することはできない。
そして次の名言へつながります。
分からないのは恥ではなく、新たな真理への道標だった
分からないことは誰にでもあるのだから、恥ずかしがる必要はないでしょう。
むしろ、それが分かった時には“成長”という真理が生まれます。