ねえ、おじさま、わたしは人間にとっていちばん必要なことは、想像力をもつことだと思います。
自分の常識、意見や考えを人に押し付けてしまう人が
ジェルーシャ・アボットはジョーン・グリアー孤児院に暮らしている少女で、自由もなく規則に縛られた人生を送っています。
ところがある日、院長室に呼ばれ彼女の人生に大きな変化が起こります。
ある資産家で評議員の男性がジェル―シャの才能を評価してくれて、ある条件を満たすことで大学進学の援助を全てしてくれるというのです。
その条件とは毎月手紙を書くこと。
ジェル―シャは、院長室に行く途中に見た人影がガガンボと呼ばれる足の長い昆虫みたいに見えたことから、援助者の男性を「あしながおじさん」と呼ぶことにします。
ジェル―シャは毎日の生活の中で感じたことや、出来事などをあしながおじさんに送るのですが、彼からの返事は一切なく一度もあったこともありません。
ジェルーシャは大学卒業後には農園を手伝いながら、作家を目指して物語を書いては出版社に送っています。
その間もあしながおじさんへの手紙は欠かさず送り続けていました。
ある日、友人ジュリア・ペンドルトンの叔父であるジャービス・ペンデルトンからプロポーズを受けます。
しかし、名家の出身であるジャービス・ペンドルトンに対して孤児院出身という負い目があるジェル―シャは、彼を愛していながらも決心をつけることができません。
そこで、「あしながおじさん」に相談してみます。
すると、今まで一度も会ってはくれなかったあしながおじさんが初めて会ってくれるというのです。
ドキドキしながら初対面を果たしたジェル―シャは驚きました。
「ジュディちゃん、ぼくがあしながおじさんだっていうことを考えてもみなかったの?」
ジェルーシャがあしながおじさんに宛てた手紙の中の一通です。
ジェル―シャのいた孤児院は“義務”が最優先されて、子どもの権利は全くありませんでした。
それを思い出してジェル―シャは孤児院の子どもの権利や理想の孤児院について書いています。
ジェル―シャは人間にとって一番必要なことは「想像力」であると言っています。
想像力があれば他人の立場になって考えることができます。
そうすれば、自然に誰に対しても親切になれ思いやりも持つことができ、相手のことを分かってあげられるようになります。
そのために、「想像力は子どものころに育てておくべきだ」とジェル―シャは主張しています。
『あしながおじさん』は1912年に書かれました。
今の時代ではあまりピンとこないかもしれませんが、当時の孤児院の生活というのは厳しい規則に縛られて子どもの権利はないのが当然でした。
逆らったり与えられた仕事をこなせなかったりすると、食事を与えられなかったり、体罰も当然だったようです。
そのような時代に生まれた作者のジーン=ウェブスターは当時の世相に迎合することなく、ジェル―シャを通して「孤児であろうと、愛されて、やりたいことをやれるのが正しい姿」だと当時の世間に訴えているのです。
そして、「おとなになってからどんなに苦労をするにしても、人間だれでも、思い出のなかに幸福な幼年期をもつべきだ」ともジェル―シャに言わせています。
これは人間関係を良くするために今でも通用する言葉ではないでしょうか。
大人になると、良くも悪くも経験を重ねて自分なりの「常識」を身につけてしまいます。
そして、その常識が100%正しいと思い込んで、相手の言うことは全く聞かずにその常識を押し付けがちになってしまいます。
そのような状態では相手のことを考えることもなく「想像力」が全く持てていません。
そしてなによりそんな想像力もない大人たちに育てられて、子どもたちが人を思いやれる想像力を持てるでしょうか
子どもの権利も考えも否定して押しつぶして、ジェル―シャの孤児院のような環境にしていませんか??
でも、いまでは、みんながわたしがきいたこともないことを話しているときには、その場ではだまっていて、あとで百科事典をひくことをおぼえました。
孤児院育ちで大した教育を受けられなかったジェル―シャ大学に入って、周りの友人の話が理解できないことが多々ありました。
『青い鳥』の作者、モーリス・メーテルリンクのことを話している時は、大学の新入生だと思っていて学校中の笑いものになりました。
また、イタリアの芸術家、ミケランジェロを天使の1人だと思っていて、クラス中の笑いものになったりもしました。
ジェル―ジャの知らないことでも知っていて当然だと思われていて誰にも聞けないので、分からないことがあるとこっそり百科事典で調べたんです。
この積み重ねでジェル―シャは大学でトップの成績を取ることができました。
分からないことがあっても、そのままにせずに分かるまで調べるのは大切ですね。
そして、誰にでも分からないことがあるのだから、知らないことを笑うこともおかしいですね。
わたしは子どもというものは、義務なんてことばの意味をしる必要は、ぜんぜんないと思います。ぞっとするような、いやらしいことばです。子どもはなにをするにも愛情からでなければいけないのです。
【行動の応用】で書いています。
この世はしあわせにみちています。もしわたしたちが自分の手ぢかにある幸福をよろこんでうけさえしたら、みんなにいきわたるほどたくさんあります。
『宝島』の作者、スティーブンソンの誌を読んでジェル―シャは考えました。
われは思う
この世にかくも数おおくのもののあれば
人みな王者のごとくしあわせなるべきを
幸せを受け取るコツは“心を柔らかくして、素直であること“です。
そして、次の名言に続きます。
人生をたのしくするのは、けっして最大級のよろこびなんかではありません。ちょっとしたことから、大きなよろこびをつくりだすのがいちばんいいんです。
そのためにジェル―シャはが見つけた秘訣は「今この時を生きる」ことです。
過去をいつまでも悔やんでいたり、未来を思い悩んでいたりしているよりも、今あることの一番を掴むことです。
ジェル―シャは毎日のあらゆる瞬間を楽しんで、自分が楽しんでいることをはっきり分かるようにして生きています。
人間って、手にしたことのないものはほしがりません。でも、だれでも、いったんそれが当然の権利として彼のーいや彼女のものだと思いこんでしまったら、それなしですごすのはとてもつらいものなのです。
ジェル―シャの夏休みのヨーロッパ旅行の資金をあしながおじさんが出してくれることになりました。
ジェールシャはとても嬉しかったのですが、「これは受け取れない」と断ることにします。
ジェル―シャのお金持ちの友人たちは子どもの頃からものを与えられて育ってきたため、それが当然だと思っています。
でも、ジェル―シャにはそう思いたくありませんでした。
まだ自分は世間に対して何の貸しもないから、ただ与えられることはできない。
なので、ジェル―シャは家庭教師をして旅費を貯めることにしました。
当然のように与えられたものより、自分で頑張って手に入れたほうが愛着もわきますし、思い出にも残りますね。
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