このブログを書いている僕は吃音者です。
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吃音者が書いた吃音の悩みについて書いた小説。まさにリアルで心の叫びを表しています。全国の中学生には絶対読んでもらいたい一冊です。 「僕は上手にしゃべれない」椎野直弥 吃音者が書いた小説はリアルで心の叫び。 … – 本を46 |
吃音者が吃音について書いています。吃音とはどもりともいわれていて、スムーズに話せない症状のことです。吃音者がどう感じているのかを知ってもらえたらうれしいです。 吃音のことを知ってもらえたら、僕らはもっと楽に生きられる – 吃音のことを知ってもらえたら、僕らはもっと楽に生きられる |
でもさ、会話なんて相手に意志が通じればいいんじゃないかな?
言葉で自分の思いをうまく伝えられない人が
中学に入学した柏崎悠太君は生まれつきの”うまく話せない”吃音者です。
言葉がつまってしまい、言いたいことがいつも言えなくて辛い思いをずっとしてきました。
入学式の自己紹介も怖くなって、逃げだしてしまいます。
悠太君は何かを変えたいと、放送部の勧誘チラシに「しゃべることが苦手な人でも大歓迎」と書いてあるのを読んで放送部に入ろうと思います。
でもやっぱりうまく話せないと他の部員に迷惑がかかると思い、入部辞退をしようとしますが、部長の立花先輩の言葉を聞いて頑張ろうと入部することにしました。
同じクラスの女子、古部加耶さんも放送部に入部して仲良くなりそれなりに楽しい部活生活を送れるようになりました。
しかし、部活以外の学校生活はやはり誰ともしゃべることができません。
そして、周りにいる人は普通に話せるので「吃音をそんなに気にする必要はない」とか「本を読んで治していこう」とかいろいろ言ってくることが悠太君にとっては「大きなお世話」だと感じます。
誰も僕の苦労や悩みや苦しみを分かってくれない。
勝手なことばっか言って、それで治れば苦労しないんだ。
それで、お姉ちゃんや古部さんともけんかをしてしまい、悠太君はとても落ち込みます。
ところが、実はみんな真剣に悠太君のことを考えてくれていて知らないところで行動してくれていたことを知り、悠太君は弁論大会に出ることを決めました。
大会当日、どもってなかなか言葉が出てこなくても、自分の言いたいことを言い通せた悠太君のスピーチは聴講者の感動を与えるのでした
悠太君は自分を変えたくて放送部に入ろうとします。
でも吃音があって他の部員に迷惑をかけてしまうと思い、入部辞退しようとします。
部長の立花先輩は「会話なんて通じればいいんだ」と優しく言ってくれて悠太君は放送部に入部します。
悠太君は吃音があって、コミュニケーションが取れなくて迷惑をかけてしまうので放送部に入っても迷惑だろうと考えてしました。
しかし、立花先輩の考えはシンプルです。
会話は自分の意志や考えを伝えるもので、時間は少しかかるけど少なくとも悠太君の言うことを理解できる。
だから問題ないと言うのです。
この言葉は僕の追い求めてきた答えでもあります。
僕もうまく話せないので、言いたいことを我慢する人生を送ってきました。
授業中答えが分かっていても、うまく話せないから手を挙げない。
断りたくても、うまく話せないから渋々受け入れてしまう。
結局、”喋る”ことだけが意志を伝えることだと思っていたのでコミュニケーションをうまく取れなかったのです。
でも、形はどうであれ最終的に伝わればいいじゃないかと思うようになりました。
そう悟ると、吃音がある自分を受け入れられるようにもなりました。
どもったって言いたいことを我慢するより言いとおせた方が自信になる。
悠太君が古部さんに紙に書きながら説明したように、これだって立派な意思を伝える方法。
それこそ、伝える方法は1つではないんです。
僕は話し言葉が無理ならどのようにすれば伝わるだろうと考えるようになり、コミュニケーション力が全般的に底上げされた気がします。
言いたい、言うべき言葉は見つかっているのにそれが声にならないんだ。
吃音あるあるです。
言葉が喉元まで出かかっているのにそこで引っかかって顔を出してくれないというイメージですが、分かりますか?
一人のときは、本当に思いのままに言葉が出るのに・・・・
吃音あるある②です。
家でひとり言を呟いているときには、すらすら言える自分にびっくりするくらいです。
これが、だれか相手と話すときにはどもるのでどちらが本当の自分なのか戸惑ってしまいます。
どれだけ殴られたって、全身をナイフで切り刻まれたって、毒を飲めと言われたって、その先に普通に声が出せる未来があるのなら僕は受け入れる。
僕は今は吃音を受け入れることができていますが、昔は吃音があることがとても嫌でした。
とにかく、「吃音を治したい」、「普通に話したい」とばかり願っていて色んな方法を試してみましたが効果はありませんでした。
「これだけの苦しみを受け入れるなら吃音がなくなる」と言われれば当時の僕なら受け入れてしまいます。
吃音だから仕方ないって我慢して、他人をうらやみながら過ごしてきた。
吃音がなく普通に話せる人たちがどれだけうらやましかったか理解できますか?
うまく話せず落ち込んで自己嫌悪をし、人をうらやむしかない日々。
今思えば人と比べる必要は何もないのですが、当時はそれしか考えがありませんでした。
でも、そのあたりまえのことが僕にとっては、吃音者にとっては地獄のような苦しみなんだ。
店で注文したり、学校で発表したり自己紹介するなんてごく普通のことですよね。
でも、その”普通”が吃音者にとってとても苦しいんです。
普通のことができないから苦しい。
普通のことができないから笑われたらどうしよう。
色々考えてしまい、それが苦しいんです。
君のまわりにいる人たちは、すごく優しいんだよ。
悠太君の周りにいる古部さん、お姉ちゃん、担任の椎名先生は吃音のことを理解していなく無責任なことばかり言ってくると悠太君は感じていました。
でも実は全て理解してくれていて悠太君の知らないところで配慮をしてくれたり気を使ってくれていたのでした。
吃音を馬鹿にしたりからかったりする人も確かにいるけれど、それ以上に暖かく包んでくれる人の方がはるかに多いんです。
僕の周りにいる人もみんな吃音のことを気にしないで接してくれるので、僕もありのままでいられます。
僕は、じ、じじじじ上手にしゃべることができません。
吃音者にとって吃音であることをカミングアウトすることはとても勇気がいります。
なんだかんだで吃音であることは知られたくないし、できれば隠し通しておきたいという気持ちが強いんです。
悠太君は弁論大会で言葉につまりながらも、聴講者に向けて宣言することができました。
この勇気があれば、悠太君の今後の学校生活は楽しくなると思います。
だから僕はしゃべることが、言葉が好きです。
弁論の最後で悠太君は一番言いたかったこととしてこの言葉で締めます。
吃音があるけど、決して喋るのは嫌いではない。なぜなら言葉には人を変え、救うことができる力があると思うから。そんな言葉を嫌いになるのはもったいないと言うのが彼の主張です。
吃音者が書いた吃音の悩みについて書いた小説。まさにリアルで心の叫びを表しています。全国の中学生には絶対読んでもらいたい一冊です。 「僕は上手にしゃべれない」椎野直弥 吃音者が書いた小説はリアルで心の叫び。 … – 本を46 |
吃音者が吃音について書いています。吃音とはどもりともいわれていて、スムーズに話せない症状のことです。吃音者がどう感じているのかを知ってもらえたらうれしいです。 吃音のことを知ってもらえたら、僕らはもっと楽に生きられる – 吃音のことを知ってもらえたら、僕らはもっと楽に生きられる |