ウメーッ、おっかなくねえぞォ。見ろォ、アンちゃんのツラァー!
精神的に追い詰められてどんなアドバイスも耳に入らない人に対して
千葉の花和村には、「ベロ出しチョンマ」というおもちゃがあります。
背中に紐がついていて引っ張ると、眉毛がハの字になり舌がベロッと出て、見た人は、思わず吹き出してしまいます。
しかし、この人形にこんな悲しい物語があるのです。
長松はもう12歳だから、毎日3歳の妹ウメの面倒を見なくてはいけません。
ウメの手はしもやけがひどいので、朝と夜は手が痛くなってしまいます。
なので長松はウメの手をくるんでいる布を取り外して手に油薬を塗ってあげるのですが、その時にはいつもウメは「痛いよ~、痛いよ~。」と泣き叫んでしまいます
そのときは長松は、「ウメ。見ろ。アンちゃんのツラ」とまゆげを「ハ」の字に下げて、ベロッと舌を出すと、ウメはケラケラ笑いだします
痛みを忘れている間に長松は素早く布をひっぱがします。
ある日にウメを寝かしつけた後、長松の耳には隣の部屋にいる父親はその仲間たちのひそひそ話が聞こえてきました。
子どもの長松ですらあまり良くない話だろうと察しがついています。
そんな話をうつらうつら聞いていたらいつの間にか寝てしまいました。
それからしばらく経って長松が起きると、父親がいませんでした。
母親に聞いても怒られてしまいます。
それからさらに何日か経ったある晩、表の戸が「ドンドン」と激しく叩かれて、役人がなだれ込んできました。
役人たちは長松、ウメ、母親の周りを取り囲み大声で叫びました。
名主、木本藤五郎、妻ふじ、そのほう、夫藤五郎が、恐れ多くも江戸将軍家へ直訴に及ぶため、江戸に出たことを存じおろう!!!
母親は、冷静に答えました。
長松一家は処刑場まで馬で引き立てられ白い服を着せられ、高い磔柱に手足を十字に柱に縛り付けられました。
目の前にいるやりを持った役人を見て、ウメは火がついたように泣き叫びます。
棒を持った1番偉い役人が「はじめえ!」と叫び、他の役人達が磔柱に近づき槍を構えました。
ウメが叫びました。
そのとき長松がウメに叫んで眉毛を「ハ」の字に下げベロを出した顔をウメに向けました。
ウメや見守っている村民たちは泣きながら笑い、長松はそのまま槍で突かれて死にました。
チョンマたちが殺された刑場の跡には、小さな社が建てられました。
役人がいくら壊しても、不思議なことにいつのまにかまた建てられていました。
【斉藤隆介の本についてこんなブログも書いています】
磔柱で槍を向けられて怖がっているウメに、長松は最後まで笑わせようと気にかけています。
いつもしてあげていることを、この場でも自分を犠牲にしてもやろうとしているのです。
『ベロ出しチョンマ」は「江戸時代の下総国佐倉藩領の義民として知られる佐倉惣五郎の逸話をモデルにした」と作者の斎藤隆介自身が解説しています。
佐倉惣五郎は領主堀田氏の重税に苦しむ農民のために将軍への直訴をおこない、処刑されたという義民伝説で知られていますが、実話かどうかは疑わしい部分も残っています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/佐倉惣五郎
反乱の見せしめのために3歳の子どもまで処刑にする残酷な描写は賛否両論ありますが(絵も刺激的なので)、ここでは議題にしません。
それよりも、最後の最後まで愛する大切な人のことを思いやれる気持ちの方に関心を持ちました。
殺されそうになる妹の恐怖を少しでも和らげようとする長松の気持ちはどんなものだったのでしょうか?
どうせもう助からないと諦めずに、せめて笑った顔で最期を迎えて欲しいとの優しさでしょうか。
それとも厳粛で見せしめ的な公開処刑に対するせめてもの反抗でしょうか。
こんな風に、最後の最後まで相手のことを想って行動できるでしょうか?
もしあなただったら、どんなことを考えてどんな行動をとることができますか?
今の時代磔にされて処刑されるようなことはありませんが、ある意味それ以上の苦しい状況に陥っている人もいるかもしれません。
こんな人に励ましの言葉をかけても恐らく耳には入らないでしょう。
それならいつも通りのことを普通にしてあげたらいいのではないでしょうか。
それで相手が助けを求めてきたらその時に手を差し伸べてあげるのがいいのではないでしょうか。
頼まれていないのに気を使って何かしてあげると余計なお世話で逆効果になるかもしれませんし・・・(落ち込んでいる時は特に)
長松だって、最後にウメにしてあげたことはいつもどおりの変顔でしたしね。
【斉藤隆介の本についてこんなブログも書いています】