過去、現在、未来ー三世を生きるこの身にクリスマスの霊は宿る
集団行動で人と違うことをやって輪を乱す偏屈なへそ曲がりの人が
スクルージは子どもから大人までに嫌われている冷酷で無慈悲でエゴイストな初老の男です。
みんなが幸せを感じているクリスマスでさえ甥っ子に「メリークリスマス!」と声をかけられてもパーティに招待されてもスクルージは「ふん!くだらん!」の一言です。
いつものように仕事を終え、帰宅するとスクルージの前に意外な人物が現われました。
いや、正しくは“元”人物であり、7年前に亡くなった友人であり共同経営者でもあったマーレイの幽霊が鎖に縛られた姿で現われたのです。
マーレイは、「自分が鎖に縛られているのは欲にまみれた人生を送ってきたからだ」とスクルージに心を改めていくように語りかけます。
三人の幽霊とは
この3人の幽霊と会うことで、「スクルージの言動と考えを改めてみてほしい」と言い残してマーレイは消えてしまいました。
マーレイの言った通り、翌日の夜に「過去のクリスマスの幽霊」が現われます。
そしてスクルージを連れて空を飛びながら、スクルージの過去を見せていきます。
今では偏屈で守銭奴で嫌われ者のスクルージも
など忘れかけていた事を見せられた彼は耐えられなくなり、「過去のクリスマスの幽霊」を追い払ってしまいます。
その次の夜に現れた「現在のクリスマスの幽霊」であり、スクルージの知らない他の家庭のクリスマスを見せていきます。
スクルージの会社で働いているクラチットには、わずかな給料しか払っていないので、家は貧乏で食事も粗末なものでした。
それでも彼の家では食事をわけあって大勢の子供たちは幸せそうに見えました。
かつての恋人が結婚した家では子どもたちが楽しそうに笑っていました。
「さっき一人ぼっちのスクルージさんを見かけた」と彼女の夫に話され、スクルージは自分の人生は孤独であったと気がつくのでした。
そして甥の家のクリスマスはスクルージおじさんの悪口をいいながらも、一緒に祝いたいと毎年招待状を出していることや彼のために乾杯してくれているのを見て、スクルージは明るい気持ちになることができました。
3番目の「未来のクリスマスの幽霊」は、未来の世界をスクルージに見せました。
そこでスクルージが見たものは、誰からも悲しまれず死んだスクルージ自身がベッドに横たわっている姿でした。
しかも、スクルージが死んだことを知った人々は喜んで、着ていた衣服をはぎ取って部屋の金品を盗んでいきました。
スクルージは「一生クリスマスを祝うことを誓う」と改心して、まず甥の家を訪ね「メリークリスマス!」とクリスマスを祝いました。
そして、クラチットの家に行きプレゼントと多額の寄付、これからの給料アップを約束しました。
スクルージはその後はロンドンで一番の人徳者として有名になりました。
過去・現在・未来のクリスマスの幽霊に連れられ、今までの自分の行いを反省したスクルージは心を入れ替えました。
「これからはクリスマスを祝うことを忘れないようにする」と心に決めました。
『クリスマスキャロル』が書かれた1800年代のイギリスでは産業革命の真っただ中でした。
何となく社会情勢が
と「時短」「効率化」「脱伝統のイノベーション」というまるで現代社会のような風潮になっていきました。
ただ元号が変わって令和になっても昭和の時代を懐かしむ私のような人がいるように『クリスマスキャロル』の作者のディケンズは伝統文化が廃れ変わっていくクリスマスに警鐘を鳴らしていたんではないでしょうか
そして、ディケンズの変ってほしくないクリスマスとはこの物語の根底でもあり、
ということではないでしょうか。
そもそも題名になっている<クリスマスキャロル>とは、クリスマスに人々が家から家へ回って幸せを願う讃美歌のことです。
日本では「きよしこの夜」や「We Wish You a Merry Christmas」なんかが知られていますね。
『クリスマスキャロル』でも一人の少年がスクルージにキャロルを歌ってあげようとしますが、施しを与えるどころか定規で追い払ってしまいます。
みんなが一生懸命幸せになろうとしているところにスクルージのような言動はそりゃ嫌われますよね。
クリスマスにかぎったことではありませんが、「心を一つにしてみんなの幸せを願おう」と盛り上がっているときに、水を差すような言動はみんなからそっぽ向かれてしまいます。
もし、何となく周りの人と合わないとかうまくやっていけないと感じているなら、スクルージのような言動をしていないかチェックしてみてください。
でもこうやって書き出してみたら、案外スクルージってありふれた人間じゃないかと思えてきました。
これってほとんどの人に当てはまらないですか??
ただスクルージはあまりにもそれが極端すぎて、しかもクリスマスという特別な日でさえも態度を変えなかったことから、あんな悲惨な未来を送る予定だったのです。
あなたも過去、現在、未来と幽霊たちと旅をしてみてはどうでしょうか。
守銭奴で偏屈だったスクルージだって無邪気な子だったし、恋人もいたことがあり、純粋な気持ちで会社を経営していました。
あなたもそのような過去があったことを思い出し、てその時の気持ちになってみてはどうでしょうか。
過去を振り返り自分の言動を反省したのであれば、今自分がしていることに目を向けてみましょう。
自分の行った言動で人がどう思ったのか考えてみる。
スクルージはクラチットの息子が死にそうだと聞かされて、過去に寄付を断り「人が死ねば余計な寄付が減る」と言ったことを後悔しています。
そして、もしこのままの未来が続けばどうなってしまうのかを考えてみましょう。
そして、もう一つ大切なことは自分で気がつくことです。
三人の幽霊たちはスクルージに過去・現在・未来の映像を見せましたが、具体的にこれからどうしろとは言いませんでした。
それは自分自身で気がつくことだからです。
改心は人から言われるものではなく、自らするものですからね。
「まったく見えない目でも、他人を不幸にする目よりはましですよ、目の見えないご主人様!」
スクルージが道を歩いていても、誰も声をかけません。
盲導犬さえもスクルージを見ると、主人を路地裏に引っ張りこむくらいです。
盲導犬がもし言葉を話せたら、こんなことを言っているだろうと思われます。
「スクルージのような人間になるくらいなら、目が見えない方がいい」
いかにスクルージが嫌われているかが良く分かりますね。
世の中には、幸せを感じること、喜びを与えられることがいくらでもありますよ。金儲けになるとは言いませんがね。
「クリスマスなんか金が出ていくばかりでくだらないイベントだ」とスクルージは甥と口論になります。
しかし、甥は反論します。
「クリスマスはすばらしい時期だと考えてきたんです。親切で寛大で慈悲深く、誰でも同じ気持ちで心を開くことができる。だから、お金じゃなくても、十分なご利益があるんです」
この幽霊たちのだれもが抱いている不幸は、明らかに、生きている人間たちのために役立ちたいと思っても、永久にその力を失ってしまったということだった。
マーレイの亡霊に招かれて、スクルージは窓辺に立って外を見渡しました。
クリスマスイブの寒夜には悲しみの声を発しながら行き交う幽霊たちであふれていました。
そのどれもが、マーリーと同じように鎖に縛られていたり、手首や足首を鉄球につながれていたりと自由な幽霊は一人もいませんでした。
幽霊たちはクリスマスイブなのに祝うことのできない貧しい人たちに何か施しをしてあげたいと思いながらも何もできないことを嘆いています。
幽霊たちは生前何も善を施すことなく、死んでから後悔しているのです。
人はみな、隣人、同胞と進んで広く交わって、心を通わせなくてはいけない。そのためには、遠路をいとわずどこへでも出かけるようでなくてはだめだ。
生きている間に誰とも心を通わせずに孤独に生きていると、どんどん鎖が重くなっていきますます身動きが取れなくなります。
あちこちさまよって、人と交流したくても思い出の場所に行っても何もできない自分が歯がゆくて後悔してもしきれないのです。
あなたの夢や希望は、人からとやかく言われたくないという、ただそれだけに凝り固まっているのだわ。
スクルージは過去のクリスマスの幽霊と過去の恋人と一緒にいるスクルージ自身の姿を見ていました。
スクルージの商売はうまくいっていましたが、貧乏だったときの純粋だったスクルージは次第に彼は拝金主義の守銭奴に変っていきました。
そんなスクルージを彼女は悲しく思い、離れていきました。